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自分が感銘を受けたあらゆるジャンルの作品を完全な主観で備忘録的に書きとめていきます。 ■このブログの続きとして、【2109年を生きるゲーム職人への手紙。】に移転しました。 ■ときどきネタバレを含むのでご注意のほどを。
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あけましておめでとうございます。


昨年出逢った心の名作のうち、一番衝撃的なアニメ作品は『時をかける少女』でした。

ぶわっと泣いて、何度も何度も観ました。

なぜあの作品がよいかという構造的な話よりも、ぼくは『自分がなぜこんなにも感動してしまうのか』に注目して、それを分析するために、観たいという気持ちが押し寄せてくる間中、ただひたすら観つづけました。


一番ぼくが好きな部分は、真琴が未来にむけて具体的な夢(ビジョン)を持ったことです。

具体的というのは、人生設計やその方法論が確立されているかどうかではなく、『自分が進みたい方角』がしっかりわかっているという意味です。
心にコンパスを持つことで、ひとは迷っても迷っても、方向修正したりしながら進むことができます。


自分がこれからどんな道を辿っていくかは誰にだってわかりません。
たいせつなのは、どの道を歩くかではなく、どの方角に向かって進めば自分はほんとうに納得して生きられるか、これをわかってることだと思います。

この作品は、なんとなく日々を歩んでいた真琴が、とある事件をとおして一つの大きな夢を見つけ、進むべき未来を見つめてまっすぐに生きてゆこうと決意する様を描いています。

ぼくがステキだなと思ったのは、その純粋さ晴れやかさはもちろんのこと、真琴が未来に対して明確なビジョンを持ったことです。
物語の帰結として、日常の幸せを再確認するだけにとどまらず、事件が解決して恋が実ってハッピーエンドというのでもなく、未来をどう生きていくか(生きていきたいか)という気持ちを主人公が持ったことが嬉しかった。


厳密にいえば、心のコンパスはみつけるものではなく、出逢いや経験のすえに、心のなかに生まれてくるものですが、なかなかそれに本人が気づくことができないもので。

だから、(すでに心に芽生えているであろう)コンパスをみつける。

ぼくと『時をかける少女』の出逢いは、そのきっかけのひとつでした。


(※)そういったドラマの深さの点で見ても、過去のタイムリープ諸作品から一段深化させた作品なのだなぁと思いました。

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一年の締めくくりとして、今年ぼくの心をいろんな意味で打ちのめし、育ててくれた中心的な存在たちに触れたいと思います。


2006年のぼくのビジョンは『心の育てなおし』でした。

今のままの自分ではこの先だめになってしまう。そう痛烈に感じたのは、2005年の話です。
だから、自分を内省する一年と決めて、2006年はすこし社会から距離をおき、様々な方面からのインプットを試みました。

○7つの習慣
○内田樹
○槇原敬之
○時をかける少女(アニメ)
○太陽と星と銀竜の詩篇ロマンシングブレス(P.A.S.)
○家族と友人

手助けとなったものは本当に無数にあるのですが、特にいまの自分をつくるにあたって重要な意味合いを持つ、これからも指針になるであろう存在たちです。
そのどれもがまだまだ未消化で、これからも本気で付き合っていこうと思っています。
話し出すとキリがないので、いくつかだけ触れてみます。

●槇原敬之の『僕が一番欲しかったもの』
音楽を聞いて、初めて泣きました。
アニメの感動を思い出してそのテーマ曲で涙をながすことはありましたし、音楽を聞いて心に深く残って眠れないようなこともありましたが、音楽を聞いて涙がぼたぼた落ちるといった経験は、これが初めてでした。

理由は歌詞のまんまです。
自分の心の奥底に眠っているなかば無意識の本心に、自分の外側から降ってきた言葉によって気づかされることが、これほどの感動になるのだと驚きました。
感動の根っこを知ったような気分です。

●内田樹の『疲れすぎて眠れぬ夜のために』
何度読んでも含蓄のある本で、中でも「ワンランク下の自分に」の項が自分の客観視に役立ちました。
文中で<満たされない欲望に灼(や)かれる>と表現されたように、その時のぼくはまさに『<もう一ランク上の自分>でなければだめだ』という強迫観念に支配されていました。
自己肯定感の喪失というやつです。
<人間はわりと簡単に壊れる>という話もどきっとしましたが、この項で一番目が覚めるような想いをしたのは、可能性についての話です。

「私には無限の可能性があるのかないのか、どっちですか?」

これはぼくも知りたかった。それに対する内田先生の答えは次のようなものでした。

<自分の可能性を最大化するためには、自分の可能性には限界があるということを知っておく必要があります>

この一見逆説的な言葉は、ずうっともやもやしていた思いに答えを与えてくれました。
これを知って意識するようになってから、様々な局面でこの考えに通ずるものがあることに気づくようになりました。
限界を知るということは、自分に見えているものと見えていないもの(できること、できないこと)を知る、ということです。
つまり、自分の視点(視野)の外側にある世界、裏側にあるものなどを知って、初めて、最初の「自分の視点」がどういったものだったかを理解できる。そしてこんどは、自分のポジションが見えるようになるので、自分の活かし方に気づく……という風です。
視野(フレーム)の問題です。

可能性という言葉の捉え方もそれにつれ変化し、それによってどう生きるべきか(自分の可能性をどう伸ばしていきたいか)の指針が一つできました。

 

自分の心と向き合い生きるにあたって、とても多くの指針を今年見つけることができました。
心のかたちが変わるというのは、『すべての物事に対する感じ方』が変わるということです。この一年は、これからの生き方を基礎づける、本当に貴重な一年になりました。
ここに書いたものも書かなかったものも含め、どれもが、一生のかけがえのないぼくの財産です。

深い感謝を込めて。よいお年を。


『楽園なんて、きっとどこにもありはしない。

世界の果てには、何も無いんだ。

どこまで歩いても、同じ道が続いてるだけ。

それなのに……


なぜこんなにも衝動に駆られるんだ。

 


誰かの声がする。

楽園を、目指せ。』

 

真っ白な雪景色のなか、点々とつづいていく狼の足跡。

どこまでも、どこまでも。
白い雪のなか。
やがて横たわる一匹の白い狼の姿が映り、彼はゆっくりと瞳を閉じてゆく。

その情景のなか、ぽつり、ぽつりと語られる心情(狼の言葉)。

一話の冒頭(アバンタイトル)が、この作品を体現していて好きです。

この部分が作品通して語ろうとしている命題をストレートに訴えかけてくるからです。悲哀に満ちた孤独と絶望の中、ひたすらに希望を求めてやまない衝動。


地上に『楽園』はあるのか。


楽園を求めて走りつづけた狼たちの行く末は、どうなるのか?
何と出逢い、何をみつけ、どういう結末を迎えるのか。

ただただ物語の結末を観たいが為に最終話まで見続けたのは、「楽園を求める」ことが当時のぼくの命題でもあったからです。

そして、この作品は後半の展開にややつまづきを見せながらも、きちんとひとつの答えを明示し貫徹してくれた作品なので、とても好きです。

結末を知ると、この作品がとても王道を走る作品だったのだとわかるのですが、世界設定など、わかるようでわからない良い具合のファンタジーだなぁと思います。


心に『火』をつけてくれる作品が好きです。

楽園の置き場所や自分の衝動との付き合い方をまだ決めきれず、ずっと彷徨い、狼たちのように走りつづけていたぼくにとって、WOLF'S RAINは一つのヒントをくれた感慨深い一作となりました。


『忘却の旋律』もしびれた作品のひとつです。

時代(社会)設定とメロスの戦士の位置づけ。「忘却の旋律」と呼ばれる少女の幻影が示唆するもの。

溢れんばかりのメッセージ性にどきっとしました。


トータルで見ると特に後半は遊びの部分がめだって、最終話までの展開の中で、テーマをなでる程度で深く掘り下げずに終わった作品なのが、ぼくとしては残念です。

序盤にあそこまでエスカレートさせたのだから、より深くより厳然と描いてみてほしかった。テーマについて話し合い、企画とシナリオを深めていく時間が足りなかったのかなと想像しますが、基本設定が良かっただけに悔やまれます。
(深めきれなかったという印象がありますが、最終回はきちんと締めたと思います)


創り手にとって作品は、こどものようなものです。

生み出すことも大変な作業ですが、それと同じくらい(場合によってはそれ以上に)重要なのが、きちんと育てることです。

最終回まで育てきること。

ただ続けるのでなく。真摯に向き合い続けること。

もう少し違う言い方をしてみると、『産んだ作品』というナイフを使って、何をする(何を描く)かが、育てる(=最終話までをどう創るか)ということです。
初速だけ良かった作品というのは、「作品」という武器と機会を用意したのに、創り手がその先に踏み込めなかった(踏み込まなかった)ということだと思います。


ぼく自身いろいろ作品を創ってきた経験上、それがいかに困難か理解しているので、それを成せなかった作品をだめだとは思いません。
それもたいせつな作品です。

そういった苦労に向き合い、最後まで作品の面倒をみようとすることで、自分自身が磨かれ育てられます。
結果はその副産物のようなもので、重要ではありません。現場での失敗から人間は学んで大きくなっていく生き物だからです。

そういったことを胸に秘めて、しっかりと作品と向き合いたいと思っています。


一本のネジが、広大な宇宙空間に浮かんでいる。

それに手を伸ばす宇宙服の青年の姿。


TV版プラネテスの公式サイトでも見ることができるメインイラストです。ぼくは、これがすごく好きです。

この「一本のネジ」が、この作品の作品性を如実に物語っているからです。

果てのない宇宙空間のなかに浮かんだただの一本のネジが、スペースシャトルの乗客を死に追いやるという事実。このものすごくミクロな存在の主張が、作中で描かれる地球(世界)と社会と人間の問題を考える際に、深い感慨と示唆を与えてくれるのです。


原作で描かれる「スペースデブリ」という素材から「一本のネジ」を抽出して描いたアニメスタッフ(担当者や企画チーム)のセンスは、本当に秀逸だと思います。
「デブリ」という作中で大きな存在感を示すものに、「ネジ」というビジュアルでの明確な形を与えて、ひと目で伝えきること。作品の本質を見抜く眼と、それを遺憾なく表現する技を、きちんと兼ね備えているプロの仕事だと感じました。

無から有を生み出した原作がありきだということは踏まえつつも、それをここまで見事に26話のアニメに「再構築」してみせたサンライズはさすがです。

 

その作品のテーマを体現する一つのキーワード(またはアイテム)が象徴的に描かれている作品が、とても好きです。

鋼の錬金術師でいうところの「等価交換の法則」がわかりやすい例ですし、DEATHNOTEの「デスノート」もシンプルにそれ単体が作品の中軸を成しています。

でも、プラネテスは大好きですが、DEATHNOTEはそうでもありません。
何が違うのかな?と思い返してみると、プラネテスはテーマを描く為にデブリ(ネジ)が存在する……言い方を変えると、より深いモノを描く為にデブリが活かされている……のに対して、DEATHNOTEは素材の面白さに終始してしまい、その奥に描きうるメッセージまであまり意識的に踏み込まなかったからだと思います。


そういえば、アニメ制作に関わらず、デザインやCM制作の仕事もシンボライズの仕事ですね。物事の本質や関連性を見抜き、的確に表現する仕事人には本当に憧れます。
いつかぼくも、見たひとが唸るような仕事をしてやろうと思います。

 このブログは、ぼく自身が自分の「感動のツボ」をさがす旅のつもりで書いています。
 詳しく検証していく場合、「なぜ感動したか」の検証も大切ですが、「なぜ感動に至らなかったか」の検証も大切です。
 ということで、機会をみて触れたいと思った作品は、感動如何に関わらず、コメントしてみたいと思います。

 

 高畑京一郎の名著『タイム・リープ』(上下巻)を読みました。

 とてもしっかりと設計された作品で、プロローグから下巻のラストまで一気に読み進めてしまいました。どうしても食指の動かない作品もあるので、それを考えるととても面白く読めた作品だと思います。

 でも残念ながら、ぼくのストライクゾーン(感動のツボ)からは外れました。


 なにをより良き構造美と位置づけるかは、その人それぞれの感性や好みなど、美学の話になるので、秀作だと断わった上で、この作品に感じた物足りなさについて書きます。

 タイム・リープ(時間跳躍)の概念を用いた先駆作を踏まえ、ドラマとして面白く仕上げています。
 ラストまで先の展開が気になって読んでしまうくらいの読みやすさと展開の妙はあったのですが、逆に言うと、「それ以上のもの」がありませんでした。

 それが「感動作」の位置づけに至らなかった理由です。


 「それ以上のもの」とは、主に2点あります。


●まず一つには、「予想通り」過ぎました。

 物語の仕組みは、まず最初にドラマ(時間パズル)のピースが欠けたところから始まり、一つずつカチッカチッとピースがはまっていくことで、事態が明らかになっていき物語が進みます。
 そして、冒頭に投げかけられた最初のパズルピースがはまることで物語が完結するのですが、勘のいい人は途中でこのエンディングが想像できてしまいます。
 また、クライマックスの展開についても、パズルの欠け方とこれまでの展開から、どうなるかが読めてしまいました。
 期待としては、そこからさらに一歩踏み込んだ時間パズルの謎が襲ってくるなどして欲しかったのですが、そういったどんでん返しや盛り上がりがクライマックスに用意されていませんでした。ラストに、さらにワンランク上のドラマや仕掛けを盛り込んでいたら、おそらくぼくにとっての感動作の仲間入りをしていただろうと思います。

(※)ただこの感想は、作品の所為ではなく、どちらかというと、ぼくの読む時期が遅すぎた所為だと思います。ぼくが20才くらいの頃……もっとタイムリープや作品構造が云々といったことを考えていなかった時代……に読むと、かなりの衝撃を与えてくれた名作の一つになっていたと思います。
 ライトノベルですので、想定された年齢層よりもぼくが成熟してしまった為、先の展開や構造が見えすぎてしまったのだと思います。

●二つ目は、面白い物語だったのですが、そこからもう一歩人間性などに踏み込んだメッセージ性がなかった点です。

 事件が起こり、事件が解決し、ヒーローとヒロインが結ばれる。額面どおりのドラマで、この部分のつくりは丁寧でした。
 ですが、受け手自身に向けて創り手が投げかけてくるメッセージ(想い、問題提起、サガ、心の闇など何でもいいのですが)が感じられませんでした。

 著者の意図は、そのあたりには無いのだと思います。「時間パズルの仕掛けの妙」がこの作品の軸であり、そこから逸脱する(ある意味余計な)人間ドラマはかえって無い方が、作品としてスマートにまとまります。

 ですので、ぼくの上記の意見は完全にお門違いなものだろうと思っています。


 以上、2点を書きましたが、こうやって見てみると「今のぼくが求めているもの」と「著者の描きたいもの・意図」が異なるのだということが、よくわかります。

 ぜひとも10年前に読みたかったです。
 10年前に読んでいたら、この作品が与えてくれた感動がぼくのなかでどのように芽吹いていたか、などと考えるとちょっと悔しい気持ちにもなります。


蜷川さんの舞台の魅力をひとつ。

すべてではないですが、多くの公演に、ある仕掛けがしてあります。

それは『演劇を見ている自分(現実の自分)』と、『作品世界(夢の空間)』を融和させる仕掛けです。


一つ例を挙げると、「開演前に舞台裏を見せる」という演出がありました。
開演15分前くらいまで、舞台上にセットが用意されておらず、観客の目の前で、作品世界の舞台装置を組み上げていくところを見せるのです。
それと同時に、まだ衣装を着ていない役者たちが舞台上に上がってきて、談笑したり、準備体操してたりします。

そして、10分、5分、3分……と近づくにつれ、作品世界の舞台が組みあがり、衣装をまとい役者たちが「作品世界の人間」へと、様変わりしていき、そのまま流れるようにして物語が始まっていくのです。


これには、相反する二つの効果があるなと思います。
●作品への没入感を高める ……「始まる瞬間」が曖昧で、徐々に見入っていく
●それと同時に、頭の隅っこに現実を意識させる ……舞台であること、役者が同じ人間であることなどを見せる


蜷川さんは、手法は違えど、ちらほらこういった仕掛けを用います。

結果として、楽しみながら、『作品(演劇)を観ている自分』を無意識的に感じながら観ることになります。
このさじ加減がまた素晴らしい。
不快にさせず、楽しませながら現実を意識させる。憎いです。


もちろん、『演劇という枠組み』を意識させるのは、作中のドラマを、『夢物語のなかの感動』で済まさず、『現実に生きている蜷川さんが、受け手のぼくらに対して直接メッセージを投げかけてきている』からだろうと思っています。

難しい話でなく、蜷川さんには、感動をきちんと現実の自分にフィードバックして欲しいといった想いがあるのだと思います。


作中の感動やメッセージを、現実のぼくらの胸にダイレクトにとどけるための装置。
蜷川さんの舞台の作り方は、そんな感じがします。


演劇は、蜷川幸雄の公演が関西に来た時だけ観ます。

特に、シェイクスピアが好みです。


『蜷川幸雄×シェイクスピア』は、ぼくの中で今のところ最強のハーモニーです。

ぼくが魅力を感じるところは、作品メッセージを伝える為に研ぎ澄まされた、無駄のない洗練された構造美でしょうか。


■■■蜷川幸雄について

蜷川さんの公演を必ず観るのは、彼の演劇のつくりに惚れているからです。トータルでいうと、「骨太」で「鮮やか」な演劇だと感じます。

●「骨太」というのは、熱く力強い演出もさることながら、どんと地に足のついた重いテーマがある点です。
(原作の質の高さとは別に、蜷川さん自身がそれを通して伝えたいメッセージが、どしんと重たい)

●「鮮やか」というのは、舞台装置、衣装などを含めた「演出の切れ味」の鋭さ、鮮やかさです。
(公演の規模が大きいので、質が高いというのもありますが、それ以上に、ダイナミックな仕掛けが用意されていて、楽しませてくれます。そして、楽しませてくれるだけでなく、多くの場合、そのダイナミックな仕掛けこそが、ぼくらにメッセージを訴えかけてきます)

どちらも、ぼくのツボです。

力強く豪胆に、ど真ん中の剛速球を投げてくる。その上、あっと驚く仕掛けでメッセージが胸の深いところまで飛び込んでくる。そんな印象の演劇です。

全体に統一感があり、作品に乗せたメッセージを伝える為だけに特化した舞台。
極端な見方をすれば、そんな風にも観ることができて、やはりそのへんがぼく好み。


■■■シェイクスピア

原作にはそれほど詳しくはありません。
ただ、蜷川さんの公演でも、シェイクスピアと、そうでないのとでは、驚くほど出来が違うので驚いたのです。

シェイクスピアのものを幾つか続けてみて、違う脚本の公演を見た際に、設定や登場人物や場面に、あまりに無駄が多いので、驚きました。

「なんでこんなに出来がよくないんだ?!」 と思って、よくよく考えてみたら脚本が違うからだと(遅すぎるのですが)気づき、その段になってはじめて、シェイクスピアの本がいかに秀逸だったかを知りました。


印象でいうと、作品を構成する要素に『無駄』がないのです。

すべての要素に意味があって、響きあっている(……と、感じられるように創られている)。

無駄やノイズが多い方が楽しかったりもするので、一概にそれだけを評価するわけではないですが、ぼくの求める創作スタイルは、『無駄のない構造美』なので、さすがはシェイクスピアだと唸りました。



シェイクスピアの本に、老練な蜷川さんの演出が加わることで、鋭くパワフルな舞台が誕生します。
ゴールデンコンビです。


いま一番ハマっているTVアニメが、妖奇士です。

作品全体へのコメントは後日きちんと書くとして、最大級に好きなポイントを一つ。


オープニング冒頭に示される「平成18年」からはじまって、昭和、大正と続き、「天保14年」まで遡っていく年号表示です。そこから「妖奇士」の題字までの疾走感も含め、ぐっと引き込まれる感じがすごい好きです。

最初見た瞬間に、これに打ちのめされました。

現代から、天保の奇士たちのもとにとどく風。

「あぁ、こんなダイレクトなかたちでメッセージを感じさせることもできるんだ」と、衝撃を受け、一発でこの作品は好きになりました。


もちろん、きちんと作品本編とOPが響くからこそ、この部分が好きなんですが、アニメのTVシリーズではとにかくOPやアバンタイトルは、繰り返し繰り返し受け手が視る部分ですから、それをどう使うかは、やはり創り手のテクニックだなぁと思うわけです。

もうひとつ、ぼく好みな点は、「平成18年」=「現在」からスタートして、物語世界へ入っていくところです。
つまり、『「妖奇士」というアニメ作品を見ている現在に生きる自分』を、無意識的に感じさせる仕掛け。この点がすごく好きです。
受け手と作品世界にどこか「地続き感」を与える手法がぼくは好きで、このOP冒頭もそういった効果があるなと思っています。

(※)妖奇士のOPは二期に入ったら変わるんだろうか。この冒頭の演出が変わったら残念だなぁ。


宇宙のステルヴィアのアバンタイトルが、好きです。

アバンタイトルというのは、OP前に入るシーンのことです。

見たひとは覚えていると思いますが、「西暦****年に、地球が大変なことになったのだけれど、むかしの人たちががんばってくれたおかげで、地球はいまも元気です。」といったナレーションが入るやつです。
(言い回しは忘れてしまいました……っ)

ぼくは、なぜだかすんごいこのセリフに感動してしまい、アバンタイトルを見ただけで泣いてしまいました。

泣いた理由は、この作品は『昔の世代の営みが、今のぼくらの生活(環境や文化)を作って・守ってくれていること』と、それを踏まえた『これまでの世代に対する感謝』を、テーマにしているのかな? と感じたからです。

世代への感謝をテーマにした作品は、アニメではまだあまりないように思います。


実際に、そういったテーマが根底にあって作品の後半に反映されているのかは確認していません(中盤までしか見ていない)ので、作品トータルとして、このアバンタイトルと本編が響き合うものになっていて、何かしらの帰結をするのかは、わかりません。


作品コンセプトが企画当初から明確な作品というのは、オープニングや、第一話、アバンタイトルなど、『作品の第一印象』を見れば、それがいかにきちんと作られているかが、ひと目でわかります。
ちょうど、小説の最初の数行を読めば、出来がわかるのと同じことです。

そういった意味で、この作品の根っこには(完成形の作品中にどう盛り込まれたか、盛り込めなかったか、は問わず)、アバンタイトルで示されたような「想い」が少なくともあるのだろうな……と思っていて、とても好きなのです。


とてもポジティヴなメッセージであることも、ぼくの好みです。

(※)そのうち時間を作って、つづきを見たいなと思います。



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