自分が感銘を受けたあらゆるジャンルの作品を完全な主観で備忘録的に書きとめていきます。 ■このブログの続きとして、【2109年を生きるゲーム職人への手紙。】に移転しました。 ■ときどきネタバレを含むのでご注意のほどを。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
無意識的であれ気になっていたのには理由があって、やはり、今のぼくにとっては「見るべき作品」でした。
この作品に惹き込まれるかどうかの一つのポイントは、「世の不条理」について、いまもなお葛藤しているか、すでに自分の中での葛藤を終えクリアしているか、だと思います。
この作品は裁判にまつわる「不条理な現実」を描いた映画ですが、これは人間がつくる「(社会)システムの限界」を描いたもので、それを鮮烈に描く題材として「痴漢冤罪」はとても明瞭なものでした。 人間が全能でない以上、完全なシステムというものは存在し得ません。
大切なのは、ここです。
客観と主観と言い換えてもいいと思います。 やや大雑把に違いを書くと…… 「痴漢冤罪」を例にとって説明すると、 これらは、どこか矛盾しているようで、矛盾していません。 被告人と被害者がそれぞれに「そう感じた」という事実は、本物なわけです。
痴漢冤罪だけでなく、ひとが主観で生きる存在である以上、この「事実と真実の問題」から逃れることはできません。
というよりも、「人に心がある」からこそ、主観もあり客観もあるわけなので、これは人間が抱えるジレンマというべきものなのだと思います。
こう考えると裁判官という仕事は、この解決し得ない人の心の問題を引き受ける役割を担っているのですから、大変な負担のかかる仕事だと思います。
ぼくが関心を持ったのは、生きる上でも作品を手がける上でも「事実」と「真実」の違いや、それらがもたらす問題の意味を、しっかりと知っておかなければ『物事の本質』を見落とすという点です。 この「不条理」は、ぼくらが引き受けるべき、答えのない問いです。 現実を生きる以上、何らかの結果や判断をしていくしかありません。だからこそ、そこから生まれてくる問題をぼくらは、抱える、という仕方で、向き合うべきだと思うのです。 だって、この不条理を否定したら、結果として、誰かの想いや感じ方(=心)を否定することになるからです。
被害者も被告人も裁判官も、否定しない。 複雑で答えのない問題に、一面から見た答えを出して終わらせない。 それがこの作品が一番伝えたかったこと……現実の処し方……なのだろうと思います。 そしてその先にあるのは、人の心の肯定なのだと、ぼくは感じました。 PR |
カレンダー
カテゴリー
最新CM
[01/14 かいこー]
[01/02 佐久野伴樹]
[08/20 ひだか]
[08/19 陸]
[12/30 ama2k46]
最新記事
(12/08)
(09/10)
(09/05)
(09/04)
(08/22)
(06/23)
(06/14)
(05/06)
(04/05)
(03/29)
(03/21)
(03/09)
(03/08)
(01/30)
(01/21)
最新TB
プロフィール
HN:
上野雅成
性別:
男性
職業:
ゲームデザイナー&シナリオライター
趣味:
下駄
ブログ内検索
最古記事
(12/23)
(12/24)
(12/25)
(12/26)
(12/27)
(12/28)
(12/29)
(12/30)
(12/31)
(01/04)
(01/07)
(01/08)
(01/11)
(01/12)
(01/16)
アクセス解析
|