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自分が感銘を受けたあらゆるジャンルの作品を完全な主観で備忘録的に書きとめていきます。 ■このブログの続きとして、【2109年を生きるゲーム職人への手紙。】に移転しました。 ■ときどきネタバレを含むのでご注意のほどを。
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ずっと気になってた周防正行監督の「それでもボクはやってない」の上映が終わるときいて、急いで見てきました。

無意識的であれ気になっていたのには理由があって、やはり、今のぼくにとっては「見るべき作品」でした。


二時間半という時間に長いなぁと思いながら席に着いたのですが、気がつけば終わってしまい、短くすら感じました。
それほど作中ドラマに惹き込まれました。

この作品に惹き込まれるかどうかの一つのポイントは、「世の不条理」について、いまもなお葛藤しているか、すでに自分の中での葛藤を終えクリアしているか、だと思います。
だから、すでに「この問題」を周知の現実として理解し、自然に嗅ぎわけられている方は、それほど関心を惹かないのかもしれません。

 

この作品は裁判にまつわる「不条理な現実」を描いた映画ですが、これは人間がつくる「(社会)システムの限界」を描いたもので、それを鮮烈に描く題材として「痴漢冤罪」はとても明瞭なものでした。

人間が全能でない以上、完全なシステムというものは存在し得ません。
また裁判に当たっても、「真犯人を必ず有罪にし、冤罪は必ず無罪にする」のは残念ながら不可能です。


この問題に「答え」はありません。

大切なのは、ここです。


この映画の中で、監督が注視し熟考しながら綿密な計算とバランスで描こうとしている悲劇。
この悲劇が抱えている根本的な問題点は、「事実」と「真実」の落差です。

客観と主観と言い換えてもいいと思います。

やや大雑把に違いを書くと……
「事実」とは、「起こった出来事そのもの」。
「真実」とは、「当事者が感じたもの」。
……といった風になると思います。

「痴漢冤罪」を例にとって説明すると、
●被告人の手が偶然、不可抗力で女性のお尻を撫でるような感じでぶつかった →事実起こったこと
●被告人は、偶然ぶつかっただけなので自覚がない →被告人の真実
●被害者は、故意にお尻を触られたと感じた →被害者の真実
……という風です。

これらは、どこか矛盾しているようで、矛盾していません。

被告人と被害者がそれぞれに「そう感じた」という事実は、本物なわけです。
そして、手がお尻に当たったというのも事実です。


「被告人の真実(触ってない)」と「被害者の真実(触られた)」は、ともに当人の体感なので第三者には確認しようがありませんし、「第三者が知りうる情報(事実)」は(主観を除いた)客観的に収拾できた情報(の一部)に過ぎませんので、そもそも異なっていて当たり前です。
ですから、第三者の判断する事実(=判決)が、当事者の真実とイコールになることは、原理的にありません。

痴漢冤罪だけでなく、ひとが主観で生きる存在である以上、この「事実と真実の問題」から逃れることはできません。
往々にしてここから不条理なトラブルが起こり、ひとはそれに翻弄されてしまいます。


ですが、この「事実と真実の差異」があるからこそ、ドラマ(物語)もまた生まれてきます。

というよりも、「人に心がある」からこそ、主観もあり客観もあるわけなので、これは人間が抱えるジレンマというべきものなのだと思います。


「不条理」はイヤなことですが、それは「人間はひとりひとり異なる」ということの裏返しでもあり、皮肉なことですが、この問題に「唯一無二の正答」がないことが、人の心の多様性の証でもあります。

こう考えると裁判官という仕事は、この解決し得ない人の心の問題を引き受ける役割を担っているのですから、大変な負担のかかる仕事だと思います。

 

ぼくが関心を持ったのは、生きる上でも作品を手がける上でも「事実」と「真実」の違いや、それらがもたらす問題の意味を、しっかりと知っておかなければ『物事の本質』を見落とすという点です。

この「不条理」は、ぼくらが引き受けるべき、答えのない問いです。

現実を生きる以上、何らかの結果や判断をしていくしかありません。だからこそ、そこから生まれてくる問題をぼくらは、抱える、という仕方で、向き合うべきだと思うのです。

だって、この不条理を否定したら、結果として、誰かの想いや感じ方(=心)を否定することになるからです。


だからぼくは、この問題……制度や人間の限界から生まれてしまう悲しみ……を前向きに受け止めたい。

 

被害者も被告人も裁判官も、否定しない。

複雑で答えのない問題に、一面から見た答えを出して終わらせない。

それがこの作品が一番伝えたかったこと……現実の処し方……なのだろうと思います。

そしてその先にあるのは、人の心の肯定なのだと、ぼくは感じました。

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