忍者ブログ
自分が感銘を受けたあらゆるジャンルの作品を完全な主観で備忘録的に書きとめていきます。 ■このブログの続きとして、【2109年を生きるゲーム職人への手紙。】に移転しました。 ■ときどきネタバレを含むのでご注意のほどを。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


一本のネジが、広大な宇宙空間に浮かんでいる。

それに手を伸ばす宇宙服の青年の姿。


TV版プラネテスの公式サイトでも見ることができるメインイラストです。ぼくは、これがすごく好きです。

この「一本のネジ」が、この作品の作品性を如実に物語っているからです。

果てのない宇宙空間のなかに浮かんだただの一本のネジが、スペースシャトルの乗客を死に追いやるという事実。このものすごくミクロな存在の主張が、作中で描かれる地球(世界)と社会と人間の問題を考える際に、深い感慨と示唆を与えてくれるのです。


原作で描かれる「スペースデブリ」という素材から「一本のネジ」を抽出して描いたアニメスタッフ(担当者や企画チーム)のセンスは、本当に秀逸だと思います。
「デブリ」という作中で大きな存在感を示すものに、「ネジ」というビジュアルでの明確な形を与えて、ひと目で伝えきること。作品の本質を見抜く眼と、それを遺憾なく表現する技を、きちんと兼ね備えているプロの仕事だと感じました。

無から有を生み出した原作がありきだということは踏まえつつも、それをここまで見事に26話のアニメに「再構築」してみせたサンライズはさすがです。

 

その作品のテーマを体現する一つのキーワード(またはアイテム)が象徴的に描かれている作品が、とても好きです。

鋼の錬金術師でいうところの「等価交換の法則」がわかりやすい例ですし、DEATHNOTEの「デスノート」もシンプルにそれ単体が作品の中軸を成しています。

でも、プラネテスは大好きですが、DEATHNOTEはそうでもありません。
何が違うのかな?と思い返してみると、プラネテスはテーマを描く為にデブリ(ネジ)が存在する……言い方を変えると、より深いモノを描く為にデブリが活かされている……のに対して、DEATHNOTEは素材の面白さに終始してしまい、その奥に描きうるメッセージまであまり意識的に踏み込まなかったからだと思います。


そういえば、アニメ制作に関わらず、デザインやCM制作の仕事もシンボライズの仕事ですね。物事の本質や関連性を見抜き、的確に表現する仕事人には本当に憧れます。
いつかぼくも、見たひとが唸るような仕事をしてやろうと思います。

PR

蜷川さんの舞台の魅力をひとつ。

すべてではないですが、多くの公演に、ある仕掛けがしてあります。

それは『演劇を見ている自分(現実の自分)』と、『作品世界(夢の空間)』を融和させる仕掛けです。


一つ例を挙げると、「開演前に舞台裏を見せる」という演出がありました。
開演15分前くらいまで、舞台上にセットが用意されておらず、観客の目の前で、作品世界の舞台装置を組み上げていくところを見せるのです。
それと同時に、まだ衣装を着ていない役者たちが舞台上に上がってきて、談笑したり、準備体操してたりします。

そして、10分、5分、3分……と近づくにつれ、作品世界の舞台が組みあがり、衣装をまとい役者たちが「作品世界の人間」へと、様変わりしていき、そのまま流れるようにして物語が始まっていくのです。


これには、相反する二つの効果があるなと思います。
●作品への没入感を高める ……「始まる瞬間」が曖昧で、徐々に見入っていく
●それと同時に、頭の隅っこに現実を意識させる ……舞台であること、役者が同じ人間であることなどを見せる


蜷川さんは、手法は違えど、ちらほらこういった仕掛けを用います。

結果として、楽しみながら、『作品(演劇)を観ている自分』を無意識的に感じながら観ることになります。
このさじ加減がまた素晴らしい。
不快にさせず、楽しませながら現実を意識させる。憎いです。


もちろん、『演劇という枠組み』を意識させるのは、作中のドラマを、『夢物語のなかの感動』で済まさず、『現実に生きている蜷川さんが、受け手のぼくらに対して直接メッセージを投げかけてきている』からだろうと思っています。

難しい話でなく、蜷川さんには、感動をきちんと現実の自分にフィードバックして欲しいといった想いがあるのだと思います。


作中の感動やメッセージを、現実のぼくらの胸にダイレクトにとどけるための装置。
蜷川さんの舞台の作り方は、そんな感じがします。


いま一番ハマっているTVアニメが、妖奇士です。

作品全体へのコメントは後日きちんと書くとして、最大級に好きなポイントを一つ。


オープニング冒頭に示される「平成18年」からはじまって、昭和、大正と続き、「天保14年」まで遡っていく年号表示です。そこから「妖奇士」の題字までの疾走感も含め、ぐっと引き込まれる感じがすごい好きです。

最初見た瞬間に、これに打ちのめされました。

現代から、天保の奇士たちのもとにとどく風。

「あぁ、こんなダイレクトなかたちでメッセージを感じさせることもできるんだ」と、衝撃を受け、一発でこの作品は好きになりました。


もちろん、きちんと作品本編とOPが響くからこそ、この部分が好きなんですが、アニメのTVシリーズではとにかくOPやアバンタイトルは、繰り返し繰り返し受け手が視る部分ですから、それをどう使うかは、やはり創り手のテクニックだなぁと思うわけです。

もうひとつ、ぼく好みな点は、「平成18年」=「現在」からスタートして、物語世界へ入っていくところです。
つまり、『「妖奇士」というアニメ作品を見ている現在に生きる自分』を、無意識的に感じさせる仕掛け。この点がすごく好きです。
受け手と作品世界にどこか「地続き感」を与える手法がぼくは好きで、このOP冒頭もそういった効果があるなと思っています。

(※)妖奇士のOPは二期に入ったら変わるんだろうか。この冒頭の演出が変わったら残念だなぁ。


宇宙のステルヴィアのアバンタイトルが、好きです。

アバンタイトルというのは、OP前に入るシーンのことです。

見たひとは覚えていると思いますが、「西暦****年に、地球が大変なことになったのだけれど、むかしの人たちががんばってくれたおかげで、地球はいまも元気です。」といったナレーションが入るやつです。
(言い回しは忘れてしまいました……っ)

ぼくは、なぜだかすんごいこのセリフに感動してしまい、アバンタイトルを見ただけで泣いてしまいました。

泣いた理由は、この作品は『昔の世代の営みが、今のぼくらの生活(環境や文化)を作って・守ってくれていること』と、それを踏まえた『これまでの世代に対する感謝』を、テーマにしているのかな? と感じたからです。

世代への感謝をテーマにした作品は、アニメではまだあまりないように思います。


実際に、そういったテーマが根底にあって作品の後半に反映されているのかは確認していません(中盤までしか見ていない)ので、作品トータルとして、このアバンタイトルと本編が響き合うものになっていて、何かしらの帰結をするのかは、わかりません。


作品コンセプトが企画当初から明確な作品というのは、オープニングや、第一話、アバンタイトルなど、『作品の第一印象』を見れば、それがいかにきちんと作られているかが、ひと目でわかります。
ちょうど、小説の最初の数行を読めば、出来がわかるのと同じことです。

そういった意味で、この作品の根っこには(完成形の作品中にどう盛り込まれたか、盛り込めなかったか、は問わず)、アバンタイトルで示されたような「想い」が少なくともあるのだろうな……と思っていて、とても好きなのです。


とてもポジティヴなメッセージであることも、ぼくの好みです。

(※)そのうち時間を作って、つづきを見たいなと思います。



忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新CM
[01/14 かいこー]
[01/02 佐久野伴樹]
[08/20 ひだか]
[08/19 陸]
[12/30 ama2k46]
最新TB
プロフィール
HN:
上野雅成
性別:
男性
職業:
ゲームデザイナー&シナリオライター
趣味:
下駄
ブログ内検索
アクセス解析