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自分が感銘を受けたあらゆるジャンルの作品を完全な主観で備忘録的に書きとめていきます。 ■このブログの続きとして、【2109年を生きるゲーム職人への手紙。】に移転しました。 ■ときどきネタバレを含むのでご注意のほどを。
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何度か時かけを観た頃から、ぼくは「ぼくはなぜこの作品をもっともっと観たい衝動に駆られるのか?」という疑問と「気持ちの正体を知るため、納得いくまで観つづけてやる」という決意を抱いていました。

その想いを胸に多大な感動の海にたゆたっていたぼくは、ながい鑑賞期間を経て、最後の一回となった上映を見ながら、そのこたえを見つけました。

 

ぼくにとっての時かけは、壮大なモラトリアムの誘惑であり、「こどもであるじぶん」に浸る時間だったのです。

そしてぼくは「おとな」になる為に、心の器がいっぱいになって心が納得するまで「こどもの時間」を満喫する。その為に、ただひたすら時かけを浴びつづけていたのだと知りました。

エンターテイメントや芸能は、そもそも現実の労苦から心を解放し、楽しみ、夢をみ、人生を豊かにするものでもあるので、「浸ればいい」んですが、今のぼくの場合に限っては、事情がすこし異なりました。

ここで言う「こども」と「おとな」の違いを言葉にするなら、たぶん
〃無自覚に夢をみつづけるこどもでいたいじぶん〃(→こども)
〃夢をみながらもきちんと現実を歩いていくじぶん〃(→おとな)
という風になります。

ちょうど真琴が「自覚」し未来を選んだように、ぼくはぼくのもとめる夢(生き方)をきちんと「自覚」してこれからを生きていくんだ。
そういったことを自分のこころに刻む為の儀式。
こどもからおとなへの精神的な脱皮。

それが、時かけ月間の正体でした。

ということで、これからのぼくはじぶんの夢に対して責任を持ち、自覚的に生きるぞ、と決意したわけです。

 

この映画は「心の中のモラトリアム」に決着がついていないひとにとっては、おそらく絶大な威力(と中毒性)を持っている作品だと思います。

ぼくの場合はそうでした。

あまりに鮮烈で魅惑的な感動と夢の無限ループだったが為に、自覚と無自覚のあわいを彷徨っていたぼくはそれを逆手にとり、どっぷり無自覚の底に沈みきり荒療治とすることで、自分自身の課題をクリアしたのだと思います。
この作品と出逢った今のぼくが、そういう付き合い方を選んだ、ということです。

でも、自分のこころをぜんぶ預けきることができる作品など人生のなかでそう何回も出逢うことはできません。
そういった意味で、ぼくはとても恵まれていたように思います。時かけと出逢うことで、心の通過儀礼を果たすことができました。

だから、この作品はぼくにとって、特別な一作です。

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